アート療法士の妻

今年の2月から妻が横浜の矢島幼稚園で造形教室をしている。
基本的に自由な教室なのであっちで絵の具、こっちで粘土、そっちで工作と言った具合でかなり大変な様子。
それに加えて、ひとりひとりにコメントと写真付きのノートを付けている。
大変だ。
さすが、双子の母親だけあると傍から見ている。
妻がアート療法の勉強をしてから子どもの作品を興味深くみているので、作品から読み解けるその心理はなかなか面白い。
たまに僕の絵も指摘されて、いたたたたっと思うこともある。
自然と、不思議と心理は作品に出てしまうものだ。





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アントニオ・ロペス展

渋谷・東急本店でやっている僕の個展会場と直結して
bunkamuraではアントニオ・ロペス展がやっている。

先日、個展の帰りにロペス展に立ち寄った。

アントニオ・ロペス。

僕が立川美術学院に通っていた頃、当時講師をしていた菅原健彦先生から知った。
菅原先生から画集を見せてもらい興味を持った。
その頃、ちょうど「マルメロの陽光」と言うロペスを題材にした映画もやっていて観にいった。
数冊の画集とビデオがうちのある。

ロペスは憧れの作家である。

今日もこれから、ロペス展の会場横を通り、自分の個展会場へひた進む。

一日も早く憧れに近づけるように。





故郷へのプロローグ

来月故郷の三条で展覧会をすることになった。
実家の三条で銅版画をやっている妹との二人展だ。

高3の時、どうしても新潟から出たくて関西の文系の大学を受験した。
新潟には刺激がないと感じたからだ。何しろ新潟から出たかった。
受験に失敗し、進路を変更し、2浪して美大に入った。
学生時代に故郷で展覧会をした。地元の新聞にも大きく取り上げられ、卒業後には地元に戻ると答えている。
でも、何かが違うと感じていた。


「謙郎、中央にでなきゃいかん。」

祖父の言葉である。今でも心にしみる。


いつの間にか僕は新潟で過ごした以上の月日を中央で過ごしてしまった。
それでもやはり僕は新潟人なのだ。
いきがって新潟を飛び出した頃とは明らかに違う気持ち。故郷への感謝。
僕の絵が白が基調なのは新潟の雪の色なのではないかと今にして思う。
中央へ出たから気づいた感謝の気持ちと僕のルーツ。


「故郷に錦を飾る」とはまだまだいえない。


もっともっと広い世界をみて、新潟を、日本を振り返りたい。

今度の展覧会は故郷へのプロローグに過ぎない。



休んでいる暇はない

体調を崩しだらだらとした生活を送っていると急に展覧会の話を戴くことが多い。

今回もそうだ。

来月、故郷の三条で展覧会をすることになった。

ちょうど1ヵ月後。

これからポスターを作る。

忙しい。急に忙しくなった。

にわかに状況が変わった僕を見て妻がひと言。

「だーからいつも言ってるじゃない。画家に休みなんてないのよ。」

確かにその通りである。



土竜

大学の頃、友人とふざけて「土竜会」なるものを結成していた。

土の中をぐるぐるとめぐり、姿は見えないがその存在はその足跡でわかるモグラ。

ふざけてつけた名前だが、ともすると僕は土竜と化してしまう。

ここのところ風邪を引いていたこともあり、また休日と言えば家族サービスに時間を割かれ、
画廊へ出掛けるのも億劫だった。

アトリエに篭る毎日。巣の中では前進と後退を繰り返す。

しかしながら、今日は妻に尻をたたかれ銀座へ出掛けた。

まさに土竜がポッコリ地上に顔を出したかのように。

久々の銀座はまぶしかった。たまには出なくてはいけないと思わされる。










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